わたしの花道

リストカットやうつ病経験からメンタルヘルスについて書いています

自分のことを宇宙人だと思い続けて10年強・・ADHDでした

この事を書こうと思うまで結構時間がかかりました。

 

なんなら「そうかもしれない」って思ってから実際に受診するまでも勇気が出ずにモダモダしてたんですよ。

 

今思えばもっと早く検査を受けたかった、以外に何もないんですけど。

 

で、これを書いておこうって思った1番の理由は、受診や検査を迷っていた私の背中を押してくれたのがネットにアップされた「ADHD検査を受けてきた方のブログ」だったからです。

 

普通に生活していれば出会うことも無い方が書かれた記事に勇気をもらった、そしたらやっぱり私も受診までに思ったこととかそれからの事とかを書こうかなって。

 

もしかしたら、これを読んで「やっぱり受診してみよう」って思う人もいるかもしれないから。

 

ADHDの検査って専門医のいるとこでしかやってないから、普通に心療内科を受診するよりハードル高いと思うんです。

 

家の近くにそういう病院がないパターンも往々にしてあるし。

 

あと私が1番不安だったのは「検査受けてみて違ったらどうしよう」って事でした。

 

「あなたはADHDではありません」って言われたら。。。それがすごく怖かった。

 

でも、ADHDの検査は「ADHDか、そうじゃないか」をはかるものではないんですよ。

 

個人の特性をみるもので、得意傾向・苦手傾向が分かるだけです。

 

ADHDは得意と苦手の差が激しい脳のバグみたいな、そういうものです。

 

だから、得意傾向と苦手傾向を数字に置き換える事でその差をみてもらうけど、実際「めちゃビミョー」ゾーンの人も沢山います。

 

ちなみに私は「めちゃビミョー」からちょっとはみ出したくらいの差でした。

 

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さて、前置きがすっごく長くなりましたがここからはちゃんと時系列で書いていきます。

 

 

まずは、人と違う・自分は宇宙人だって思い始めたところから。

 

1番最初にそう思ったのは小学生の時だったかな・・・。

 

忘れ物が多い。

家を出た私を自転車で母が追いかけてくれたこと幾回・・・・。

母よ、ありがとうそしてごめん。

これは大人になっても健在で財布もケータイも鍵もしょっちゅうどこかに消える。

さっきまで手に持ってたのに消える。旅先でも消える。

切符もSuicaもコンサートのチケットもコインロッカーの鍵もみんな消える!!!!!

 

考えがあっちこっちにいく。

先生が何かを話していても頭の中は空想でいっぱい。興味持てないってなっちゃったらもう1秒も耳に入ってこない・・・。

 

いろんなものに興味がいく。

もうね、授業中だろうがなんだろうが気になったものが出来ちゃったら最後でした。

算数の授業中に急に社会の授業のことが気になって頭がいっぱいになったり。

真夜中に本の続きが気になって飛び起きて読んだり。

 

集中スイッチが入ると周囲の一切が目に入らなくなる。

これ、過集中って言うらしいんですけど。

私の場合テレビと本が大好きで、読みふけったり見入ったらもう何回親に呼ばれても話しかけられてもダメでよく怒られました(笑)

 

ルールを守りたがる(守っていることに安心する)

例えば、私、横断歩道以外で道を渡ることにすごく抵抗(不安)を覚えます。

他にも掃除の時間にふざける男子にガチギレしちゃったり、先生の話を聞かない男子に(やめとけばいいのに)注意したり。

 

沢山のなかから目当ての物を見つける(その場所を覚える)ことが苦手

新学年になると下駄箱が変わります。これにすっごく苦労していました。

苗字的に大体したの方を割り当てられていましたが、毎日したから「1、2、3」と指差して数えてました。

 

で、この辺て自分は困るけど人には理解や共感がされにくいんですよね。

 

小学校の頃にADHDが見つけてもらえる子って「多動・衝動優勢」が圧倒的に多い。

※検査したところ私はバリバリの不注意優勢でした

 

授業中座ってられない、みたいな。

 

私はそうではなかったから、この辺の困りごとは特別認知されてなかったです。

(忘れ物多い子とか、正義感強い子とは思われてたかな)

 

中学に入る頃には、ルールを守りたい精神に拍車がかかり、空気読めない女子としてほかの女子から爪弾きにされたり、男子からまあまあハードにいじめられたりして、「普通の人ぶる」子になりました。

 

「普通の人ぶる」というのは、例えばルールを守らない男子をみたとしても「普通の人はこういうのは注意しない、これが気になるのは良く無いこと」だと自分に言い聞かせてやり過ごすことです。

 

あと、下駄箱が覚えられないとかも安定に続いていたけどバレてはいけないと思っていました。

これも「普通の人は下駄箱の場所がわからなくなったりはしない、数えたり何度も確認しないといけないのはおかしいこと」だと。

 

他にもまあ細々と「バレないようにしていたこと」があるけどもうすでに1500文字も書いてるから割愛します。

 

で、大人になったらなったでこれまた人よりも劣っている部分を発見して、それをちっとも改善できずに凹む日々を送ることになります。

 

仕事でいうと「一般的な事務仕事」がもうちっともできない。

 

数字やアルファベットのミスを連発し、ファックス番号を間違え、周囲の音や動きに気を取られてすぎて集中できず、典型的な「仕事できない人」になりました。

 

「確認すれば気づくよ」「ゆっくりでいいから」なーんて言われてもね、何回確認しても倍の時間をかけても全然わからない。

 

数字を声に出して読み上げるとか指差して確認するとかしてもミスは減らない。

 

先輩も「何であの子がこんなにミスするのか分からない」状態。

 

手を抜いてやってるとは思わないんだけど、ちょっと、ね・・・って何回言われた事か。

 

で、小さい頃からのルール守りたい精神も過激になってて、恋人がレシピサイトの作り方を無視しただけでめちゃくちゃ怒るような有様。

 

順序よく仕事をこなす、優先順位をつけるなんて高次元な事が出来るはずもなく、見よう見まねでやってみた「今やらない仕事は一旦机から退ける」なんてしたら「机から退けたことを忘れる」始末。

 

優先順位を書いたメモをパソコンに貼っても「メモの存在ごと忘れる」という、なんとも言えない感じ。

 

この辺りで相当自分に絶望して周りに申し訳なくて「事務仕事   できない」とか検索しだす。

 

で、出てきた方法を片っ端から試すも面白いくらい撃沈してまた落ち込む。を1年くらい繰り返してました。

 

そんな時にたまたま事務仕事が出来なかった原因はADHDだったっていう人のコラムを読んだんです。

 

衝撃でした。自分と同じようなことで悩んでいる人がいた、と。

 

そしてもしかしたら、自分が劣っているから、努力不足だからこうなっているのではないのかもしれない・・・。と。

 

検索を「事務仕事   ADHD」としてみました。

 

もしかして私もそうなのかも?と思う記事ばかりでした。

 

でも、受診する勇気もなく心療内科にちょっと微妙な印象もあったせい(過去の記事読んでみて)であんまりすぐには行動を起こせなかったです。

 

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自分のことを周りとは違う、自分だけ宇宙人(劣っている)だと思い続け、普通の人ぶる生活をしながらも「仕事の出来なさ」だけは隠しようもなく、何回めかの大ポカでやっと心が決まりました。

 

そこで担当医に言われたことがすごく印象に残っています。

 

「勇気を持って来てくれてありがとう。結果がどうであれ、これからのあなたが生活しやすいようにアドバイスできたらと思っています。」

 

ADHDとそうではないという人の線引きはとても曖昧です」

 

病院で待っている先生たちは初診の人が不安で怖くて、でもそれでもと病院に来ていることを知っています。

 

そして、冒頭にも書いたけどADHDの検査はインフルエンザの検査のように「そうか・そうじゃないか」を見るものではありません。

 

何が得意か・何が苦手かを自分自身で理解することで、少しでも肩の力を抜いて生きていけるようにするためのものです。

 

「違ったらどうしよう」と不安がっていた私は、この言葉でとりあえず自分の得意と苦手を把握しようと思えました。

 

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ADHDの検査ってめっちゃ時間かかるし結果出るまでも時間かかるしで大変です。

 

初診から2ヶ月くらい経ってやっと検査結果を聞けました。

 

私の場合でいうと、「言葉を使った理解や表現」はすごく得意とでました。

 

逆に「聞いたことを正確に記憶したり、同時進行で物事をこなす」ことがとんでもなく苦手だともでました。

 

私が受診した病院では、検査結果を得意と苦手を数値化したものプラス検査者さんからの細かいコメントとして特性(特徴)を書いて貰えました。

 

そこに書いてあったことを抜粋すると、

 

「言語理解の数値が他と比べてとても高く、全体的な数値も底上げしている」

「ただ、抽象的な考え方は苦手で字義通りに受け止めるために誤解が生じやすい」

「正確さとスピーディさ両方を求められるとどちらかが伴わない」

「不安から確認作業に追われ、さらに正確さやスピーディさが落ちる悪循環にハマる(ハマりやすい)」

「対人的感受性の低さ・共感性の乏しさが特徴的」

「常識的知識は豊富でも、要点を掻い摘んで端的な説明を行うことが苦手」

ASDの傾向もあり(ADHDの人って多くの場合でASDの特徴も持ってることが多い)」

 

といった具合ですよ。

 

こんなんもう努力でなんとかなる範疇超えとる。

 

事務仕事もまったくもって不得意分野すぎる。

 

向いてないなりに1年以上やってんの凄いんとちゃう?????

 

わけわからん関西人が出てくるくらいの診断結果でした。

 

ちなみに各項目の数字だけ見ると「ADHD寄りかな」程度の差でしたが、担当医からは「十分にADHDとしての対応を検討して良いレベル」だとのことで。

 

検査結果みてね、肩の荷が降りたんですよ。というか、開き直れた。

 

あー、なるほどなって。やっぱ宇宙人だったかーって。

 

市民権を得た宇宙人になったというか(笑)

 

宇宙人なことを隠そうとしなくていいんだなって。

 

私が苦手・劣っている、と感じてきたことの多くは「脳のバグ(ADHD)」によって生じてしまうもので、努力で補おうとしなくて良いこと、というか補うにしたって限界があるって。

 

そして周りの人には「苦手なことがある」という事を先に伝えようと思えました。

 

隠そうとせず、出来ることをやっていこうって。難しいんですけどね。

 

真っ先にやったことといえば「絶対になくすから持っててほしい」と言えるものは友人に預けることです。

 

チケットとかロッカーの鍵とか。財布やケータイは自分で持っていますがよく失くすことを伝えてあります。

 

そして、申し訳ないけど私がそういったものを忘れてたら教えてほしいとも。

 

 

で、肝心の苦手なこと祭り事務仕事はもうスパッと辞めました。

 

私が派遣社員ってこともあって、契約満了(更新なし)で辞めて今は違う仕事をしています。

 

仕事に関しては、私みたいにいく人の方が珍しいと思うので何もいえないんですけど・・・。

 

 

そして、担当医と相談してADHDのための薬であるコンサータの服用もしています。

 

これね、ほんとすごい。

 

周りの人の音や動作なんかに気を取られ過ぎずに仕事ができる、パニックにならないで済む。

 

集中できるってすごいなあ、コンサータ有難いなあって思う反面「服用しなくてもこれができる人たちいいな」って寂しく思ったりもするけど。

 

でも努力でなんとかしようとして出来なくて傷ついて泣いて凹んでいた頃よりずっとましです。

 

ただ、生きづらさを抱えて生きてきた10年強の時間を思うと、もっとはやくにこの結果を知れたらと思ってしまいます。

 

だから、もし、今この記事を読んでいて「もしや」と思ったら、ぜひ検査を受けてみてほしいです。

 

検査した結果「ADHDの可能性を否定する数値やコメント」が出たとしても、担当医はきっと「あなたが抱える生きづらさを解消する手助け」をしてくれます。

 

生きづらさを感じるのは努力不足でも、劣っているからでもありません。

 

この記事が誰かの背中を押せることを願って、おしまいにします。

リストカットしたくなったらとりあえずやってほしい2つのこと

久しぶりに地の底まで落ち込んでリストカット衝動に駆られたので書いておきます。

 

ひどい時は1日に何十回と切っていたのですが、要因排除とリストカット衝動が起きるメカニズムを自分なりに理解したことで、リストカット衝動に駆られてもなんとかなる2つの行動を見つけました。

 

切った後ってみんな大なり小なり後悔して、もうやめようって思うんですよね。

 

でも、また切ってしまう。ループにはまって抜け出せない感覚に絶望する。

 

でも、大丈夫です。ちゃんとリストカットしたくなっても踏みとどまれます。

 

わたしが証拠です。

 

順番に解説していくのでお付き合いください。5分で読めます。

 

 

リストカット衝動が起こるメカニズム

 

本当はリストカット衝動に駆られる様な要因を根本から排除することが一番大切だったりするんですけど、これを読んでくださる方からしたら「そんなことはわかっているが、すぐにできないんだ」という感じだとおもいますので、ひとまずはこちらから。

 

死にたくないのになぜリストカットするのか。

 

何百回と議論されてきたことですね。血を見たいだとか安心するんだとか、いろいろあります。

 

私が頻繁にリストカットしていた時も「別に死にたいわけではなかった」です。

 

私の場合は「つらい」とか「しんどい」みたいな強い感情でいっぱいになった時に「切りたい」って思うことが多かったです。

 

「切りたい」んだけど「傷が残ると面倒」「血が止まらなくなるのも困る」といった具合にある意味でとても冷静でした。

 

つまり、自分ではどこにもやりようのない感情(私でいうつらいとかしんどいとか)を一時的に紛らわすために切っていたんです。

 

このパターン、意外に多いんじゃないかなって思います。

 

で、心療内科に受診した時にちょっと聞いてみたんです。

 

そしたら「リストカットすることで分泌されるホルモンがある」ということを教えてもらいました。

 

それ、なんて呼ばれてると思います?

 

「脳内モルヒネ」って呼ばれてるんですって。

 

モルヒネって医療行為で使われる麻酔のことです。

 

で、この「リストカットしたときに出る脳内モルヒネ」の濃度(強さ)は病院で使われるものよりはるかに強力なんです・・・。

 

自分が抱える感情、つまりストレスを紛らわす手段としてリストカット(脳内モルヒネが分泌される行為)をしてたんですよ。

 

ここまで聞いた時「そりゃあ、やめられないし、衝動を抑えるのも大変だ」ってすごい納得しちゃったんです(笑)

 

だって現状そのストレスから逃げる手段として一番手っ取り早くて簡単なのってリストカットな訳ですから。

 

でも、大丈夫。リストカットはやめられるし、衝動にも負けなくなります。

 

ただ、根性論ではないです。

 

ので、もし、「自分の子供がリスカしてる」っていう親御さんが「リスカをやめさせたくて」この読んでいたら「根性論」で説得するのも「リストカット行為を責める・怒る」ことも金輪際やめましょう。

 

リストカットは当該者からすれば医療で言えば「手術に麻酔が必要」なレベルなんです。

 

それを「頑張れば麻酔なしでも耐えられる」と言っている様なものです。

 

まずはなぜリストカットを行ってしまうのかというメカニズムを「脳の仕組みとしてストレスから逃れるため」だと理解してください。

 

共感まではできなくてもいいです。まずは理解です。

 

リストカット衝動に耐える方法

 

では、ここからはリストカット衝動に耐える方法をお話しします。

 

リストカット衝動が起こるのは「耐えられないほどのストレスから逃れるため」だという事は理解できたと思います。

 

でも、「切りたい」って思うタイミングはやってきます。私も今でもそうです。

 

当時と比べれば、かなり回数は減りましたけどね。

 

で、その衝動が起きた時にどうするべきか。

 

部屋を最大限明るく賑やかにする

 

人は、というより人の脳は、抱えるストレスから自らを守るためにリストカットします。

 

そういう時に頭に浮かぶのは「リストカット」のことばかりなんです。

 

でも、まずは部屋の電気を一番明るくしてください。

 

で、テレビでもパソコンでもケータイでもなんでもいいので、音楽とか人の声とか音が流れるもののスイッチをつける。

 

耳や目から否応無しに情報が入る様にします。

 

私の場合は仕事や学校に行きたくなくて、夜中に自室で1人、真っ暗な布団の中でリストカット衝動に駆られることが多かったです。

 

部屋を明るくして賑やかな状態にする、たったこれだけでリストカット衝動が収まることも結構あります。

 

家族に迷惑をかけるだとか思う人もいるでしょう。

 

そういうことが考えられる、とっても優しくて真面目な性格だから、ストレスへの対処法としてリストカットに行き着いてしまうんですよね。

 

そういう時は、ヘッドホンとかで音を聞きましょう。

 

賑やか、というのは自分の耳に音が聞こえればそれで良いのです。

 

環境もですけど、何か他のことをするっていうのは結構大事なんです。

 

でも、「切りたい!」ってときに他のことなんてできないんですよ。

 

なので、部屋の電気をつけて、電気製品の電源をかたっぱしからつけるっていう行動をします。

 

腕を握って10秒息を止める

 

明るくて賑やかになって一旦は衝動が引いたとしても、しばらくすると不完全燃焼のような感じでリストカット衝動に襲われることがあります。

 

そんな時に私がしていたのが、「腕を強く握って10秒息を止める」ことです。

 

これについてはきちんとした理由はわからないんですけど効果的でした。

 

10秒間はテレビやパソコンから聞こえてくる音に集中してくださいね。

 

なんでもいいです。私は音楽を流していたのでひたすら頭の中で歌詞を唱えました。

 

リストカット衝動って長く続かないんですよ。

 

だから、意識的に別のことを10秒考えればその間に収まります。

 

私はこの2つでリストカット衝動ときちんと戦える様になりました。

 

なんとかしたいと思う親御さん・周りの方へ

 

なんだかおもったより長くなってしまいましたが、私なりのリストカット衝動と戦う方法を書いてみました。

 

未だにリストカットを根性論でなんとかしようとする方がいます。

 

なんともなりませんよ、まじで。

 

リストカットをするお子さんへなんと声かけして良いものか、と思うでしょう。

 

どうしてそんなことをするのか、とも思うでしょう。

 

でも、「どうして切るの」だとか「切ってはダメ」だなんて言わないでくださいね。

 

そんなことはこちらだって分かっているんです。

 

「なんとかしたい」と思うのならば「切らないで済む具体的な方法」を話しましょう。

 

よい方向へ向かいます様に。

 

 

 

新社会人の皆さんは頑張らなくて良いのです

春だなあと、駅に溢れる新しい顔ぶれを眺めて思いました。

 

もうそろそろ、会社だるいなって思う頃でしょうか。

 

それでいいと思います。

 

会社は楽しくなくていいし、やりがいとかモチベーションとかも低くっていいです。

 

私は、頑張って頑張って頑張って気がついたら戻れないところまで行ってしまって、人並みの生活を取り戻すのに苦労しました。

 

その辺のことは、まあ過去記事でもみてください。

 

www.hanamichi.work

 これ、当時すっごい反応もらって「こんなにたくさんの人が病んでんだな」ってめちゃくちゃびっくりした記憶があります。

 

仕事で病むのが普通なのやだなーって思うんですけど仕組みが変わらない以上、私みたいになる前に辞めるとか逃げるとかしないとダメなのかもしれません。

 

ちなみに私は未だに、介護の仕事をしていた時の担当さんの命日になると夜勤をする夢を見ます。

 

職場の近くを通ると動悸もします。

 

新社会人の皆さんはどうかこうならない様に。

 

頑張ってはいけません。

 

ポジティブな気持ちで前向きに頑張ろう!と思えたとしてもそこそこで良いのです。

 

新人は頑張るものだと言ってくる上司がいたとしても、そんなのはいいです。

 

もしも、楽しみだったはずの予定が楽しみに感じなくなってきたら、ちょっと休憩が必要かもしれません。

 

どうか、新社会人の皆さんが緩やかに社会の坂を登って行けますように。

 

ちなみに私は半ば登ることを諦めて(笑)今に至ります。

 

普通を追い求めたはなし

私は、小さい頃から普通になりたかった。

 

集団生活が上手くやれている他のクラスメイトの様になりたかった。

 

いじめられない学校生活が欲しかった。

 

1年3年5年となにか一つのものを続けれる人になりたかった。

 

周りが当たり前に行えることが何もできないと強く感じるのが学校だった。

 

自分は平均以下なのだと思った。

 

保育園の頃、絵を描くことが好きだった。

 

でも、なにひとつとして評価されない自分の絵はダメなんだと思った。

 

文を書くことも好きだった。

 

でも、読書感想文だとか、生活作文だとか、主張文だとか、そういった分かりやすい評価はもらえなかった。

 

好きなだけでは何にもならないのだと悟った。

 

なにか特別優れているわけでもなく、友達も少なく、なんなら集団生活が吐くほど苦手だった。

 

平均以下の私は、平均以下であることを隠さなければと思った。

 

せめて、平均にみえるようにあらねばと。

 

わたしから見える世界では、周りの人が普通でわたしだけ異常だった。

 

コンプレックスと劣等感を抱えたまま、大人になった。

 

大人になったら、普通になれると思っていた。

 

平均以下のわたしだからと、がむしゃらに働いた。

 

そうしたら、体も心も壊れた。

 

周りの人は、どうして、頑張らなくても普通になれるの。

 

勤務先が1年以上同じだったことはない。

 

理由は、まあ、このブログに書いた様なこと。

 

わたしは、要領よくいろんなことを進められない。

 

忘れっぽいし、よくパニックにもなる。

 

派遣の事務で首をつなげてきたけれど、向いていないと感じる日々だった。

 

新卒の子が入ってきて、いとも簡単に仕事をこなす姿を見た時に、やっぱりわたしは平均以下なのだと認識した。

 

どうしてわたしはこんなにも不出来なのだろう。

 

わたしの作った書類は不備が多いと怒られたことも、手順を覚えられずにパニックになったことも、もう両の手では収まらない。

 

でも、これらを他人に相談すると「みんなそんなもん」なのだという。

 

そんなわけないだろうと思うけど、理解されないので黙る。

 

ミスしない様に集中しようとしても、コピー機の音・電話の音・人の話す声・・・全てが無限に耳に届いて気がつくと意識が持っていかれる。

 

でも、これも相談すると「みんなそんなもん」と言われるのだ。

 

職場ではいつも息がしにくい。

 

「普通の人」の世界に平均以下の私がいるせいだろうか。

 

周りの人の様に、自分に自信を持ってみたい。

 

堂々としたい。

 

分不相応なのはわかっていても、ついそう思ってしまう。

 

でも、具体的な方法はわからないから思うだけでおわる。

 

こんなことは知り合いに知られたら恥だと思った。

 

でも、他の記事もだけど、ここには書けた。

 

他人は平気だ。私のことを知らないから。

 

他人しかいない世界に行きたい。いつもそう思っていた。

 

もし、私みたいに仕事ができないと落ち込む他人がいたとして。

 

この記事を読んで下には下がいたと思ってくれたらいいなあなんて思う。

心療内科で出された薬を服用して事故って車を廃車にした話

久しぶりにブログを見返したら、下書きに眠ったままの記事を見つけたのでアップします。

 

この事故から2年くらい経ってますが、今でも車の運転が怖いです。

 

心療内科で出される薬」も怖くなって飲めない始末です。

 

ということで、こういうことが起こるかもしれないから「バカスカ薬を出す病院には注意」ってことと「運転する時はまじ注意」っていうお願いです。

 

職場云々は2年前のことなので今はもう違います。

 

では、以下は当時の私が書いたものそのままです。

 

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みなさん、こんにちは。

 

この手の病んでる話題はもう更新しないつもりだったんですけど。

 

転職先でまた性懲りも無く心を病み、心療内科のお薬の力を借りたところ、タイトル通りになりました。

 

とにかく怖かったので書きます。

 

心を病んだ理由は、若手いじめ的なものの対象になったから。とだけ。

 

職場にいると下痢や吐き気、動悸がひどく、 夜は何度も起きてしまい、それが辛くて以前かかっていた心療内科に再度受診しました。

 

そのときに、寝る前に飲むものとして5種類の薬を処方されました。 (4種類が精神安定剤、1種類は整腸剤) この、4種類の精神安定剤というのが原因でした。

 

全てに「めまいや眠気を起こす場合がある」という記載がある薬だったんです。

 

軽く説明は受けていましたが、以前飲んだことのあるものだし、大丈夫だろうと思ってたんです。

 

これが、甘かった。

 

飲んだ次の朝、とにかく起きれなかった。

 

体は起きていても、脳は寝ている。

 

でも、仕事に行かなくては。薬を飲んだから大丈夫。

 

そう思って、車を動かしました。 そして、事故りました。

 

事故ったとき、ひどい頭痛で話せず救急車を呼んでもらいました。

 

救急隊の方が驚いて機械の不調を疑うほどに血圧が低く、事故したときの反動で痛くなったシートベルトが当たっていたところよりも、そっちを心配される始末。

 

何度も何度も血圧を測り直されました。

 

病院に着いてからも血圧は上がらず、頭痛も治らず。

 

やっとこさ精神安定剤を服用していることを伝えると、それでこんなにも低いんだねと。

 

どのくらい低いのか具体的な数字は聞きませんでしたが、看護婦さんが引くくらい低かったです。

 

なんとか落ち着いて、家に帰ってから死んだように寝るとやっと脳がすっきりしました。

 

車は廃車になりました。

 

相手がいる事故を起こしてしまったことが申し訳なくて、情けなくて、怖くて。

 

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はい、尻切れとんぼですが。こんな感じです。

 

いやー、未だにぶつかった時の記憶はフラッシュバックするので本当にしんどい。

 

もう通勤に車は使っていません。

 

良い効果をもたらすために飲んでいた薬でこうなってはマジでなんの意味もないです。

 

心療内科にも薬にも縁がなくても読んでくださった方は、こういうやついるんだなって思ってください。

 

ではまた。

 

先生、嘘をつくのはいけないことですか。

 

私は、嘘をついています。

病気になったこと、仕事を辞めたこと。

新しい勤め先も、すぐに辞めてしまったこと。

何かあると、腕を切りたくなること。

 

いろんなことを嘘で隠して生きています。

 

 

先生、嘘をつくのはダメと教わりました。

 

でも、私は嘘をついています。

嘘で隠せば、外を歩けるようになるからです。

嘘で隠せば、何も知らない友達とも遊べるようになるからです。

嘘で隠せば、家の外でも息が出来るからです。

 

何もかもすべて話せる人もいます。

でも、そうでない人もいます。

 

そうでない人とも、遊びたい。話したい。

だから、私は今日も息を吐くように嘘を吐き、

周りと同化しています。

 

私は、自分のことを異常だと思っています。

だから、嘘をつくことが止められません。

自分の中の普通じゃない部分を隠したいからです。

 

以前親に、今の自分の状況に嘘をついてはいけないと言われました。きっと、認めなさいという意味だったのだと思います。でも、私は、嘘をつきます。私は私を認められません。

 

 

普通でいい。ずっとそう思って生きてきました。

だから、普通でなくなって、どうしていいか分かりませんでした。普通のふりをするのが精一杯でした。

普通のふりをするには、嘘しかありませんでした。

 

私は今日も嘘をついています。

笑って、平気で嘘をついています。

嘘ばかりついているから、幸せが逃げるのでしょうか。

でも、私にはまだ、生きるのをやめる決心はつかないので、嘘をつく自分に絶望しながら、それでも嘘をついて生きていきます。

 

 

先生、嘘をつくのはいけないことですか。