普通を追い求めたはなし
私は、小さい頃から普通になりたかった。
集団生活が上手くやれている他のクラスメイトの様になりたかった。
いじめられない学校生活が欲しかった。
1年3年5年となにか一つのものを続けれる人になりたかった。
周りが当たり前に行えることが何もできないと強く感じるのが学校だった。
自分は平均以下なのだと思った。
保育園の頃、絵を描くことが好きだった。
でも、なにひとつとして評価されない自分の絵はダメなんだと思った。
文を書くことも好きだった。
でも、読書感想文だとか、生活作文だとか、主張文だとか、そういった分かりやすい評価はもらえなかった。
好きなだけでは何にもならないのだと悟った。
なにか特別優れているわけでもなく、友達も少なく、なんなら集団生活が吐くほど苦手だった。
平均以下の私は、平均以下であることを隠さなければと思った。
せめて、平均にみえるようにあらねばと。
わたしから見える世界では、周りの人が普通でわたしだけ異常だった。
コンプレックスと劣等感を抱えたまま、大人になった。
大人になったら、普通になれると思っていた。
平均以下のわたしだからと、がむしゃらに働いた。
そうしたら、体も心も壊れた。
周りの人は、どうして、頑張らなくても普通になれるの。
勤務先が1年以上同じだったことはない。
理由は、まあ、このブログに書いた様なこと。
わたしは、要領よくいろんなことを進められない。
忘れっぽいし、よくパニックにもなる。
派遣の事務で首をつなげてきたけれど、向いていないと感じる日々だった。
新卒の子が入ってきて、いとも簡単に仕事をこなす姿を見た時に、やっぱりわたしは平均以下なのだと認識した。
どうしてわたしはこんなにも不出来なのだろう。
わたしの作った書類は不備が多いと怒られたことも、手順を覚えられずにパニックになったことも、もう両の手では収まらない。
でも、これらを他人に相談すると「みんなそんなもん」なのだという。
そんなわけないだろうと思うけど、理解されないので黙る。
ミスしない様に集中しようとしても、コピー機の音・電話の音・人の話す声・・・全てが無限に耳に届いて気がつくと意識が持っていかれる。
でも、これも相談すると「みんなそんなもん」と言われるのだ。
職場ではいつも息がしにくい。
「普通の人」の世界に平均以下の私がいるせいだろうか。
周りの人の様に、自分に自信を持ってみたい。
堂々としたい。
分不相応なのはわかっていても、ついそう思ってしまう。
でも、具体的な方法はわからないから思うだけでおわる。
こんなことは知り合いに知られたら恥だと思った。
でも、他の記事もだけど、ここには書けた。
他人は平気だ。私のことを知らないから。
他人しかいない世界に行きたい。いつもそう思っていた。
もし、私みたいに仕事ができないと落ち込む他人がいたとして。
この記事を読んで下には下がいたと思ってくれたらいいなあなんて思う。