わたしの花道

リストカットやうつ病経験からメンタルヘルスについて書いています

19歳のジャニヲタ介護職員が統合失調症と診断されてから。

ー2019・5・3、改行などの手直しー

 

ひとつ前の記事の続きです。続きというか、診断されてから、ひとつ前の記事を上げるまでの話です。

 

前回同様、バイオレンスな文章があります。苦手な方はご注意ください。

 

 

19歳のジャニヲタ介護職員が統合失調症と診断されるまで。 - わたしの花道

 

この記事が、まさかこんなにたくさんの方に読んでいただけると思っておらず、診断がなされてからいきなりまとめのような文章になってしまっているので、ブログに書くことができるようになるまでを今回書こうと思います。

 

(上に張り付けた記事とダブる部分もあります。)

 

前回の記事に対し、実に様々な意見をいただきました。

 

私を心配してくださった方、共感してくださった方。

 

ブックマークのほうでは、診断に疑問を持つ声もいただきました。

 

また、心療内科ではなく精神科のほうがいいのでは、という声もいただきました。

 

精神科に行かなかったのは私がかたくなに拒否したからです。

 

私は、そんなところに行かなくてもいい、と。ですが、親を頼った時点で夢からくる不眠、嘔気、下痢など体に不調が出ていました。

 

そこで、その症状を止める薬をもらおうと最初は内科に行きました。

 

話を聞いてくれた知人は実際に内科で鬱の諸症状を緩和する薬を出してもらい、社会復帰していました。

 

しかし、内科の先生は私を見て「きちんとしたところに行きなさい。体を傷つけているなら、私ではどうにもできないよ」と言いました。

 

この言葉で、自分が自分で思っているよりひどいことになっているんだと自覚しました。

 

でも、それでも、どうしても精神科は嫌で心療内科に行きました。

 

 

そこの先生は「あなたが若い(医学的に言われている思春期の真っただ中である)こともあって断定はすごく難しい。でも診断書を出すには病名をつけなければいけない」と。

 

診断書があれば、仕事休めるからね。ゆっくりしなさい。

 

夢を見ないで寝れるように、ちょっとだけお薬出すように相談しておくからね。

 

今日はちゃんと寝れるはずよ。私を安心させるようにカウンセラーのおばちゃんは言いました。

 

仕事に行かなくてもいい、そのことに安堵し、病名も、だされた薬も、正直どうでも(まではいかなくても)よかった。

 

 

職場の統括主任は理解があり、職場には体調不良と説明することと自分を通して以外の連絡はしないように言っておくと約束してくれました。

 

その日から、仕事をしている夢は見なくなりました。

 

相変わらず胃腸の調子はいまいちでしたが、夜中に起きない、いやな夢を見ないだけでこんなにも息がしやすいのかと自分でびっくりしました。

 

うちは共働きで日中は私一人になるので(母はずいぶん心配しましたが、大丈夫と押し切りました)隣町の図書館に行くことにしました。

 

車通勤をしていたのでマイカーも免許証も持っています。

 

本から生まれたのか、と揶揄されるくらいには活字が好きだったので興味を持ったタイトルの本を読んだり、家に転がっていた調剤薬局事務のテキストを拾ってきて勉強していました。

 

小学校から高校までの12年間、一度も楽しいと思ったことがなかった勉強するということを初めて楽しいと思いました。

 

毎日、朝の連続テレビ小説「マッサン」を見て、朝ご飯が食べれそうなら食べる。

 

そして、仕事に行く母を見送り、ゆっくり支度をして図書館に行く。

 

3時くらいには家に帰ってきて昼寝をする。起きたら食べられる分だけ夜ごはんを食べて、ドラマを見て、ケータイをいじって、薬を飲んで寝る。

 

 

おなかはすくのに食べようという気が起らず、昼は食べないかコンビニで売っているような12粒くらいはいってるチョコレート菓子をつまむ程度です。

 

(ちなみにこれを書いている今も胃腸は絶不調でトイレと結婚できそうです。)

 

最初の一週間は、こんな感じでゆるゆると過ぎていきました。

 

2月の末には、温泉旅行を決めていました。大親友に付き合ってもらって旅行を計画していたのです。

 

でも、診断書を出して逃げるように職場から帰ってきてしまったためこの1か月の休職がどのように扱われているのはわからないことに気が付きました。


「これから」どうなるかわからない。「これから」だってお金はかかる。お金がなければ、生活できません。好きなことをするにはお金がかかる。


実家暮らしで甘えているとはいえ、お金のことが気になって、こんなことならたとえ体を傷つけ続けたとしても、休む日があったとしても、仕事に行っていたほうがよかったのではないのか。


休職、しないほうがよかったのでは。

 

あの状況で、そんなことは無理だったとわかっていてもそう思ってしまいました。

 

決めていた旅行だってとてもお金のかかることです。

 

仕事をしていないのに、お金が出ていく予定ばかり・・・とへこみました。

 

お金のことを悶々抱えたまま、些細なことから母とけんかになり、私は大泣き。

 

でも仲直りも決着もつかないまま、一番下の妹の習い事の時間になってしまい、母はそちらに行かなくてなりませんでした。

 

自分の部屋で、母に対しどうしてあのような言い方しかできなかったんだろう。本当に言いたかったことは、そんなことじゃなくて。

 


へたくそな伝え方で一生懸命私に寄り添おうとした母を傷つけることしかできない自分に憤りと情けなさでいっぱいになり、休職になってから初めて、自分の体を傷つけました。

 

痛かった。何の涙かわからないまま、たくさんたくさん泣きました。

 

送り迎えから帰ってきた母とは、きちんと仲直りできました。

 

19にもなって、と思うかもしれませんが思いっきり抱きしめてもらいました。


そのあとすぐ、高校時代の友達とご飯に行く機会がありました。

 

私の現状は話さず、ただ、昔話やお互いの趣味のことを話す時間はとても楽しく、リフレッシュできた、と思っていました。そのときは。

 

友達と別れ、楽しかったはずの気持ちは、お風呂に入っているときに消滅してしまいました。

 

自分の傷だらけの体を見たからです。

 

自業自得、なんだよなぁって自嘲気味に笑うことが精一杯で。

 

私の同級生だったひとたちはみんな当たり前に自分が選んだ道で社会人なり、大学生なりとして頑張っていて、好きなことをしている。

 

わたしは、何をしているのだろう。

 

母が、きれいにきれいに産んでくれたのに。

 

私は、そのきれいだった体を自分で不良品にしている。そう思いました。

 

そのころ、友達に彼氏ができたと知って。

 

こんな不良品でみっともない私をこの先、愛してくれる人ができるのだろうか。

 

付き合うなら、結婚するなら、きれいな体のほうがいいに決まってる。

 

そんなところまで思考が飛んで、その日の夜中、また、体を傷つけました。

 

でも、悲しくて痛くて。大親友に、零しました。

 

「また切っちゃった」と。よくわからないけど、「切っちゃった」と。でも、もうやめるから、その代わりに付き合わせて申し訳ないけど、切りたくなったら、電話してもいいかと聞きました。

 

大親友はそれで気がまぎれるなら。出れないときもあるけど体を傷つけなくて済むなら、と快諾してくれました。

 

悶々と抱えていたお金のことは

 

「定期、崩せばいいじゃない。頑張れるようになったら、また貯めればいい。頑張れるようになるために使ってなにが悪いの。」

 

という母の言葉でためたお金を使う、ということをためらっていましたが、やめました。

 

2回目のカウンセリングでお金のこと、「これから」のことを話したら「長い長い人生の、ほんの一瞬よ。今は休憩。ほしいものがあったら買いなさい。働けるようになったら、今使った分を貯めればいいのよ」と。

 

母も「ボーナス出たときに貯金した6万だってあるんだから。遊べばいいじゃない」と。

 

その言葉でずっと控えていた春物の服を買いました。

 

上記ブログにも書いた、いい靴も買いました。

 

これを着て、これを履いて、たくさんたくさん遊ぼう。素敵な場所に行こう。「これから」はその時が来るまで考えない。

 

そして、カウンセリングの最後にひとつの約束をしました。

 

自分の体を傷つけるための道具を自分で捨てる、と。

 

カウンセラーのおばちゃんは「今ならね、綺麗に治るから。半袖だって着れるくらいに」私の傷をなでながらそう言いました。

 

家に帰って、仕事用のカバンの中に無造作に放ってあったカッターを不燃ごみへ捨てました。

 

私は、私のことがあんまり好きじゃないけど、両親は、大親友は、友達は、そしてツイッターにいるジャニーズを通して仲良くしてくださっている人たちは、私のことを好きだと言ってくれる。

 

もう、傷ものだけど、これ以上はやめよう、と。

 

カッターを捨ててから、お風呂で自分の体を見ても「やれやれ、はやく薄くなるといいな」くらいにしか思わなくなりました。

 

そして、自分が経験した事を書こうと思ったのです。

 

これが、診断されてから、ブログを書くまでにあったことです。

 

気分の波があるので、元気な日、そうじゃない日、あります。

 

でも、自分にあったことを言葉にできるくらいまでには、元気になりました。


新しく買った春物のブルゾンを着て、新品の口紅をひいて、図書館に行った日に職場から電話があり、休職明けからどうするか聞かれ、テンションどん底になったこともありました。

 

でも、まだ働こう、という気分にはならないから、すみませんがここで返事はできない、と言い切ることができました。

 

甘えと言われればそれまでですが、以前、仕事をしていた時は残業も、勤務変更も「できます」「大丈夫です」としか言えず、断れなかった自分からすれば成長かな、とも思います。

 

 

あと2週間は休職期間なのでやりたいと思ったことは全部やろうと思います。

 


いま考えているのは高校時代に取り損ねた秘書検定の準1級の勉強をしようかなというのと眼鏡を新調しちゃおうかな、です。

 

眼鏡は働いていたころに手が出るおばあちゃんに思いっきりはたかれて以来少し歪んでしまっているのです。デザインが気に入っていてなんとなくそのまま来てしまったので、思い切って一番新しいものを買っちゃおうかな、なんて。


この記事、そして、ひとつ前の記事を読んでくださったたくさんの方々に感謝します。

 

考えるきっかけになれば、逃げていいんだと思うきっかけになれば、それ以上にうれしいことはありません。

 

こんなに弱く、みっともない私ですが、生きています。

 

楽しいと、笑えています。


どうか、私のようになるまえに。みなさんが抱える問題が軽くなりますように。

 

そして、滅びろストレス社会。

 

お粗末さまでした。